三つ数えろ

日本人の働き方とか社会保障についてせん妄状態で記述していきます

人間力の存在しない世界に行きたい。

 

f:id:count3to1interrupt:20131015125946j:plain

 

大学入試は「人物」をみる場ではない : アゴラ - ライブドアブログ

 

この記事。


政府の教育再生実行会議が、大学入試センター試験に替わる新テストを検討している。新テストのポイントは、従来のように1点刻みで合否を選別するのではなく、試験結果を段階別に評価することや複数回の受験が可能であるという点だ。

 

また、この新テスト導入に合わせ2次試験についても、ペーパーテスト一辺倒ではない「高校時代のリーダーシップを発揮した活動やボランティア活動など、学力以外でも総合的に判断する必要がある」と下村文科相は語ったとされている。

 

-----------------------------------------


前半の新テストについては、まったく大賛成。遅すぎるくらいだ。大学全入学時代に限った話でもないが、大学が求めるのは「勝負に強い人間」より、「コンスタントに努力し結果を残せる人間」であるからだ。複数回受験が可能になれば個々人の試験結果は平準化されるため受験者も結果を納得をもって受け入れ、受験失敗という妙なこじらせを後に引かなくてもよくなる。こうした学力評価の平準化については賛成だ。

 

問題は後半の「学力以外にも総合的に判断」という箇所だ。リーダーシップやボランティアの活動による評価というものがいかに無意味なものであるかはサークルのサブリーダーばかりの就職活動の現場を見れば明白だ。上記のブログでは、この「総合的な判断」を「人間力」と表現している。人間力のみで選別した人間力の高い学生による人間力の研究というものも見てみたい気もするが、一般的に高等な専門的教育を修め、研究するという大学教育の意義からすれば「学力以外」の「リーダーシップ」や「ボランティア活動」の有無は大学入試において評価するに値するものか疑問が残る。

 

またこうした人間性の評価については明確な数値化を行うことが不可能で、結局、前例的・平準的な枠組みでの評価に終始してしまう恐れが強い。試験結果は標準化してもよいが、人間性は平準化すべきではない。 

テスト結果以外を評価するのであれば、いっそのこと韓国のスペックのようにすべてを客観的に数値化してしまったほうがまだましなように思える。