三つ数えろ

日本人の働き方とか組織論について、せん妄状態で記述していきます

会議が終わらない3つの理由

筆者が所属する部署の会議は長い。

 

思い返せば事業の命運を決める重要な契約書を満面の笑顔でシュレッダーにかけてしまったことが原因で、5年間所属した花形営業部署から左遷され、人材の墓場と呼ばれる今の部署に異動してしてからはや3ヶ月。終わらない会議への強制参加とその議事録をとるだけの切ない日々を過ごしている(戻ってドツきたい…シュレッダーをかけるその10秒前の自分を…)。

 

自業自得とはいえ、このような無為なる日々を過ごすことになった筆者であるが、転がり続ける石に苔は生えない。新しい部署で学んだ(学びたくはなかった)「会議が終わらない理由」について今日は述べることしよう。

 

さて、効率的な会議の方法論については、すでに様々な場所で語り尽くされた感がある。代表的なポイントとしては以下の通りだろう。

 

何のための会議なのかを決める

その会議が「決めるための会議」なのか、または

  • 確認するための会議
  • 共有するための会議
  • 発散(ブレスト等)するための会議

なのかということを事前に明確にしておく必要がある。なぜならばこれら目的設定よっておのずと参加メンバーや開催時間の設定が異なってくるからだ。当たり前の話だが「決めるための会議」と「発散(ブレスト等)するための会議」を同時に行うことは非効率極まりない。またこの目的は一度決めたら会議の間は変更しないことも肝要になる。

 

適切な参加メンバーを決める

会議の目的が決まったらそのゴールにふさわしいメンバーを選定する。決定会議であれば決定に責任をもつ最小限のメンバーだけの参加でよい。googleにおいても意志決定のための会議は10人以下の人数で行うことが大切だとされている。会議の参加者は適切かつ最小限のメンバーに留めることが重要だ。

 

会議の時間を決める

始まる時間と終わる時間を決めてから会議を行うべきだ。この当然のルールが守られていない会議が多すぎるように思える。あのgoogleであってさえ「会議に参加する者は、必ず時間どおりにその場にいること」をルールとしてあげている。いわんや弊社においてをや、である。また人間の集中力の限界という観点から考えれば、会議は最長でも1時間が限界だろう。場合によっては15分、30分といった小さな単位の会議を、テーマや課題ごとに必要に応じて行うことも、効率的な会議を行ううえのコツのひとつであろう。

 

議題(アジェンダ)と資料を事前に共有する

議題や資料は事前に共有することができるはずだし、逆にこれが出来ない会議は行うべきではない。事前に共有を行うことができれば、会議というメンバーに時間的拘束を強いる場にかけるコストを極力減らすことができる。

 

上記に加え「会議の振り返りを必ず行う」ことも重要だ。その会議においてToDoを振り当てられたならば、最後に必ず確認すること。週一の定例会において「え、そういう意味でしたっけ」をなくすことができれば、約一週間の時間的効率化を果たすことができる。

 

さて、ここまでが前置きになる。これらの一般的な方法論が知識として周知されていたとしても、こと日本的企業においては会議はなかなか終わらないことが多い。なぜか。筆者の切ない体験からその3つの理由を考えてみよう。

 

 

 

目次 

会議が終わらない3つの理由

①「想像」と「事実」を混同してしまう

会議が終わらない一番の原因はこれだ。「想像」を「希望的観測」や「悲観的想定」と置き換えてもいい。またもっと単純に「噂」と呼んでもいいだろう。御社の会議においても、このような不確かな断片情報についてアレコレと時間を費やすことが多いのではないか。「ある役員がこのプロジェクトに否定的らしい」であるとか「次期の予算組みでは投資予算が大幅に削減されるようだ」という(多くはネガティブな)噂話を事情通として嬉々と話すメンバーがいれば、「上長のあの発言にはこうした裏の意図があるはずだ」ということを延々と邪推したがるメンバーもいる。そのような行くあてのない議論になんの意味があるというのだろうか。もし、そうした不確実性が議論をすすめる上での弊害であるとすれば、何をおいてもまずその場で(内線でもかけて)事実を確認するべきだ。これら噂話に時間を費やすことは、生産性という面からはまったく無駄な行為だと断言できるし、メンバーのモチベーションという点でもネガティブな側面しか見出せないだろう。

 

②「できないこと」と「したくないこと」を混合してしまう

あるメンバーのタスクについて期日までに出来ない理由を長い時間かけて親身に聞いたところ、結局は「面倒くさいからやりたくない」ということだったという例は一回や二回ではない。「できないこと」は、その力量、技術的課題やその解決にかける工数、予算といった客観的な制約のもとに語るべきだ。もちろん業務において「できないこと」も「したくないこと」もあってもいい(「したくないこと」はたいてい改善が必要な非効率的な作業であることが多い)。しかしその2つを混合して話すと議論は終わらない。会議で繰り広げられる「難しいです」がそのどちらであるか、常に注意する必要がある。

 

③「いつか決めること」と「今、決めるべきこと」を混合してしまう

物事を決定するためには一定の客観的な事実の積み重ねが必要だ。それらが積み重なっていない時点でいくら議論をおこなっても結論には至らないし、至ってはいけない。また、そもそもそのテーマはその場にいるメンバーが決めることなのかという視点も時には必要になってくるだろう(たいていまとまらない議論については現場で決めることではなく、より高いレイヤーで決定されるべき内容であったりする)。こうした場合、やみくもに結論に至ることを目指すのではなく、まずは「決めるべきことを決める」ことに議論を集中させた方が効率的だろう。

 

結論

決定する(decide)とはde(離す)+cide(切る)が語源である。上記にあげた様々な(その多くは心情的な)混合を注意して意識的に切り離すことができれば、会議は本来の時間で終わるはずだ。簡単に言ってしまえば、事実のみをベースとした客観的な議論に終始するという話に尽きるのだろう。

 

しかし、仕事における力量や成果と、発言者の生き様自体が混合されがちで、ただの議論がすぐに人格をかけた殺し合いになる日本的会社においては、この相克を解消することは難しいのかもしれない。ここでは次の言葉をもって今日のブログを終えることとしよう。

 

「神よ、我に、変えることのできることを変えてゆく勇気と、変えることのできないことを受け入れる落ち着きと、その二つを見極める智恵を与えたまえ」  

 カート ヴォネガットJr「スローターハウス5」より

 

 

スローターハウス5 (ハヤカワ文庫 SF 302)

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