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iPadのラインナップはなぜかくもgdgdなのか?

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第三世代iPadを「新しいiPad」と呼び始めたころよりiPadのラインナップは嵐の海原の只中にあったが、ここに来てその混乱も極まれりといった様相を呈してきた。上のイメージはこの執筆時点のApple StoreにおけるiPadシリーズのラインナップであるが、これほど見苦しいラインナップは他ではなかなかお目にかかれない。

Appleは何を考えているのか?きっとAppleのことだ、何か深遠なロードマップがあるに違いない。しかし、万に一つの可能性として、何も考えていないのかもしれない。

 

 

違和感としてまずあげられるのは、上記のラインナップを仮にiPadシリーズと呼ぶのであれば、そのプロダクツを展開する上で軸となるべき「iPad」がないことだ。その代わりに(代わりにでもないのだろうが)、「mini」と名付けられた小型機が3種類、「Air」という薄型機が2種類も用意されている。しかも各グループにおけるそれぞれ個体の差異が、コンセプトの差でもなんでもなく、ただ発売時期によるスペックの差で区別されている、さらにそれがナンバリングで表現されているという、尋常ではないやっつけぶりである。

 

世の中には過渡期というas is / to beギャップを肯定する便利な言葉があるが、あのAppleが過渡期とはいえ、こうしただらしのないラインナップを顧客に提示することはにわかに信じがたい思いがする。薄くて画面の広いのが欲しければAir2 を、小型のものが欲しければmini3を買えば良い(できればナンバリングは揃えたほうが美しい)。Apple顧客がiPad mini2をあえて選ぶ理由を明確に提示できているのだろうか。ただの選択肢を与えるようなやり方は、彼ららしくないし、混乱しか生まないと思うが、どうなのだろう。

 

もう少し言えば、iPhoneにPlusが登場したことで、iPhoneとiPadのプロダクツの間に体験の差がなくなってきた。iPhone Plusは、電話機能がマスクされてない、iPad nano と言える。さらにここにきてAppleは、「i」でも「Mac」でもない「Apple」というブランドを作り出してきた。これらが中期的にはこの新しいブランド名のもと体系化されることを祈りつつ、今日のブログはここまでとする。