三つ数えろ

日本人の働き方とか組織論について、せん妄状態で記述していきます

文系と理系の違いについての身もフタもない話

人は文系とか理系として生まれてくるわけではない。ところあたかもそうした生まれながらの貴賎が存在するかのように、社会で、職場で、乱暴な区分けが行われ続けていることに文化人文学部社会科出身の筆者としては、憤懣やるかたない。文系とは理系とはなんだろうという話をしたい。

 

 

 

 

文系とは何か。理系とは何か。

結論から言えば、大学入試段階において「数学ができた人々」が理系であり、逆に「数学ができなかった人々」が文系である。ここではある特定の教科(例えば現国?英語?)が苦手な人々を理系とは呼ばなかった点に注意されたい。ありていに言って(一握りの上位層を別にすれば)文系とは「理系になれなかった人々」である。学歴社会において理系は優生群であり、文系は劣性群であった。その個性()に応じた並びの関係ではなく、実態は(頭のよしわるしを軸にした)上下の関係なのである。悔しいが、反論の余地はないだろう。

そうして理系という優生群はその後、一般的に大学院まで進学し、文系のそれに比べて長期間、高度かつ専門的な教育に身を置いた後、理系的な就職し、理系的なキャリアを積んでいく中で、理系的な職業的傾向を獲得していくことで、理系になるのである。

 

さて、理系を理系たらしめるその職業的傾向とは何か。

 

まずあげられるのは業務において「客観的な正解を求められる」という点だろう。例えばシステム設計やプログラムを例にとれば、正しく動くもの、要求を満たすものという意味で正解を求められる。一方文系職(その代表は営業だが)については、正しい結果は求められるもののそこに「正解」は求められていない。

 

いわゆる理系職は文系職に比べ「できる/できない」をはっきりする傾向があるが、上記のような「正解を」を要求され続けた「論理的思考のできる人々」がそうした傾向にあるのは非常に納得出来る話だ。

 

またもう一点あげるとすれば「集団行動的であること」が求められる職種であることも理系職と文系職をわける大きな要素に思う。ITエンジニアによる大規模なシステム開発の現場を考えれば、個々人の才覚/技量はそれほどその結果に影響を与えない。開発の現場が建築のそれに例えられるようにシステム開発は基本は集団戦である。一方、営業職は基本的には個人の才覚/技量が結果につながる個人プレイであることは否めない。

 

一方で文系は、「正しい」かどうかという問いかけを受けることは稀であり、不確実で検証不能な業務であるにもかかわらず、売上といった一定の結果を求められる環境に身を置く。つまり理系のように「できない」という回答(それが正しいものであっても)求められておらず「できた」という結果しか求められていない。

こうした環境で培われる不確実なものをそのまま許容する強靭さは文系職特有の資質だと思うし、生き残るためのコミュニケーション能力(言い訳能力)は習得せざるをえない。さらに、ではどうすればできるかという志向性が鋭く働くことは、ブレイクスルーを生む可能性という意味では非常に重要なポイントであるが、素養的にその思考プロセスが論理的でない(バカである)ことが、幾多の悲喜劇を生み出しているといえる。

 

理系の人々<理系の人々> (中経☆コミックス)

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