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PTSDとしての日本礼賛本と反原発運動

日本礼賛本の隆盛

このところ日本を礼賛する本、いわゆる「日本SUGEEEEE本」が人気を博しているらしい。海外から日本を見た「海外の反応系」ブログは以前より一定の支持を集めていたものの、ここにきてその存在感が強くなってきている。なにより著者自身、こうした複数のブログをReaderに登録して毎日の通勤電車の中で眺めるているし、天皇陛下SUGEEEといった記事を繰り返し読みながら「市民ではなく臣民たれ」を唱えつつその日一日を乗り越える勇気を英霊より頂いている。

 

限定的な流行? 

これらは一部の良識ある知識人(その道はおおむね左車線であるが)や隣国からは「軍国主義の復活」や「極右勢力の蠢動」といった問題提起、批判を受けている。政府中枢に巣くう一部の極右勢力が震源という主張もあるが、果たしてそうだろうか。

 

 

実際に著者の日常生活(ネットスフィア外でのたんなるサラリーマンとして営みを指す)においてもこうした「日本の文化/歴史は誇らしい」「日本の歩んできた道は間違っていない」「むしろ正しすぎたがゆえにいじめられてきた」「いじめが辛すぎて70年前には切れた」「でも負けた」「そのことが悔しい」「日本を取り戻す(安倍晋三総理)」という発言を耳にする。50代を超えた世代から居酒屋でとうとうと語られることもあるし、なにより20代の若者、特に女性からこれまでは政治的に正しくないとされるこうした主張を受けることもある(肩からのぞくベージュのブラ紐が気になってほとんど聴いていなかったが)。私の主観的世界において日本国民が総じて右向きにシフトしていることは間違いがないように感じる。

原因は3.11

こうしたやや唐突とも思える国民意識の変化はなぜ起こったのだろうか。

前韓国大統領による竹島上陸やその後の天皇陛下に対する謝罪要求、執拗な従軍慰安婦問題への謝罪補償請求、中国による南の小さな島(名前が出てこない)の取り込み活動等、さまざまな外的刺激はあるものの、その多くは以前からあったものだし、多くの日本人は眉をひそめるだけで大きな反発をしてこなかった。

著者はこの変化の震源は、3.11東日本大震災にあると考える。

 

端的にいって、日本人はあの未曾有の惨事を経験したこと、そして完全とはいえないまでも乗り越えつつあることについて、相当の自信を得た。震度7の地震、続く津波、そして原発3基のメルトスルーという甚大なインシデントに対し、日本人としての矜持を失わなかったことに自信を得た。そしてそのことにたいして、事実、世界は感嘆した。これらが複合的結果的に、戦後長らく続いた自虐史観以外の新たな視点を生み出した。

 

考えてみれば、3.11から続く1か月ばかりの間、特に原発問題から東日本、特に人口占有度の高い首都圏に住む人間が受けたストレスは相当のものがあったと思う。朝の通勤電車の模様は相変わらずの風景であったが、著者の住む関東郊外でも小学校の1クラス分の家庭が遠方に引っ越したという。程度の差あれ、極限状態の中で生活を営んでいたはずで、これは心的外傷といっていい出来事だ。

PTSDとしての日本礼賛本と反原発運動

日本人の右翼的傾向の台頭にしても、SEALDsをはじめとした反原発運動にしても3.11に受けた心的外傷後のストレス障害(PTSD)の症状の一部と考えてもよいだろう。右翼的傾向の発露はこの障害からの「ストレス回避行動」及び海外からの礼賛という日本人好みの手ごろな癒しへの「依存症」とみなせるし、反原発運動は「過度の覚醒」と呼ばれる症状の一環ともいえる。

 

いずれにしても…多くの人間が亡くなり、さらに多くの人間の心が傷を負ったのは確かだ。そして人間には救いが必要だ。そういう意味でこれら症状は同根だし、この発露について、国際社会並びに西日本の皆様におかれましてはご理解とあたたかいご支援のほどよろしくお願いいたします。